抑、当開善院善光寺は、東京深川霊巖寺山内に、享保18年(1733年)向誉雄悦上人により開かれた塔頭寺院です。
落慶法要に建てられた宝塔が、やがて地蔵尊像として顕れ放光現瑞の夢見るもの多く、塔婆地蔵として信仰を集めた。寛政年間の霊場巡りの一つ「江東方四十八ヵ所地蔵尊」に(深川道本山霊巖寺内開善院塔婆地蔵尊)と記されている。
天保14年(1843年)願誉實行上人(長野静松寺徒弟)がこの宝塔を一刀三禮彫刻し、改めて本尊育児地蔵尊として院内に祀られました。
八丈町三根地区に寺院が無かったため、当時の村長、持丸庫三郎翁を中心に村民一同、寺院招致を東京芝増上寺に働きかけ、大正10年(1921年)漸くにして東京浅草誓願寺石井大亮上人を中興上人として開善院を三根の地に移転開山致しました。
平成14年(2002年)檀信徒会館落慶に併せて長野善光寺大本願より、善光寺如来御分身霊位を奉安、今日に至る。