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仏のわく、もしまた人ありて。観音菩薩の名号を受持し、ないし一時も礼拝し供養すれば、この二人のしくしてなることなく、百千万億劫においても窮尽すべからず。無尽意よ。観音菩薩の名号を受持すれば、各のごときの無量無辺の福徳のを得ん。

「また、もしある人びとが、観世音菩薩の名を心に持ち、あるいはひとときでも礼拝し供養するならば、その善男善女の功徳はまさに等しく、違いはないのである。百千万億劫という長い時を費やしたとしてもその功徳を滅し尽くすことはできないのである。無尽意菩薩よ、観世音菩薩の名を心に持つならば、このような量りしれない福徳の利がえられるであろう」世尊はいった。

 


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一口豆知識  〜 一期一会 〜 

 

茶道にある「一期一会」とは、その茶会を生涯(一期いちご)において一度(一会いちえ)のこととして、もてなす主人も接待を受ける客人も互いに真心をもって臨(いど)むと聞いています。

その一期とは仏教でも一生涯の間という意味で、一会は寺院で行われる法要などの会合を意味します。
この意味から一時(ひととき)の観音菩薩の供養礼拝も、生涯に出会えた尊い一会の法要です。その供養礼拝が諸仏の供養(講座第17回の六十に億の恒河の沙のごとき菩薩の名字を受持する事)に連なる仏道修行そのものである、たとえ一会の事でも真心を込めて精進(はげむ)からこそ常の礼拝供養と同じ福徳を得る事が出来るのです。

 

 

 
 
〜 〜余慶の扉〜 〜


この経典では、たとえその一度の礼拝供養で得た功徳は「百千万億劫」すなわち生涯にわたっても失う事はなく数多くの仏名を称え種々の供養をする人びとと、その得る功徳は変わらないと教えています。

観音菩薩にかぎらず、仏を敬い供養して得る功徳というものは、その行いの数が多いから沢山頂けるとか、少ないから少ししか頂けないと言うものではなく、念じるその一念、その一会にいかに真剣に心を込めて念じられるかです。

「日に新た 日々に新たにあらためん たえぬ光にてらされる身は」(浄土宗高僧山崎辯榮上人)です

無限の幸せを授かれる我が身であれば、一日一日を大切に生きたいものです。


   
 

 




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