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今回は前第十五回をいま少し掘り下げてお話したいと思います。
観音菩薩 の功徳、ご利益を確かなものとすることの根本をのべているからです、原本の後段絵図をはさんで下記のように記されています。

若し衆生ありて観世音菩薩を恭敬し礼拝せば、bヘ唐損からざらん。この故に、衆生は皆、應に観世音菩薩の名号を受持すべし。

若し人々が観世音菩薩を崇め敬い信じて礼拝すれば、その功徳が得られるに違いない。だから人々はみな観世音菩薩の名を心に保つがよい。
(觀音經事典觀音經編纂委員会編より―柏書房発行)

       us唐損

「avとはそれを得ることにより幸せになれるものとしましょう、前回では子を得ることを「avとし、観音様に子供を授けてくださいと願いをかけました、それに対して、観音様を敬い礼拝すれば「bヘ唐損」その願いは叶うであろうとはっきりとお答えです。

       皆應受持観世音菩薩名號

この故に、衆生は皆、まさに観世音菩薩の名号を受持すべし。

「この故に―このように観音様は貴方達の願いをかなえて下さるのだから」人々は皆観音菩薩の「名号受持しなさい」と教えています。
受持とは「法を領受・憶持すること(仏教辞典宇井伯壽監修―大東出版社発行)」とあります、観音菩薩の教えすなわち仏法の教えを心でしっかりと受け止め(領受)、忘れることなく常に(憶持)観音菩薩の名を称え続ける事です。



写真1





一口豆知識  〜 他力本願 〜 

 

「他力本願―たりきほんがん」を(他の力を当てにしてじぶんではあまり努力しないこと)の例えとして言われることが多いのですが「他力」とは阿弥陀如来の力で、本願とはその阿弥陀如来の「必ず救う」という誓い、誓願を言います。
人間の力ではなく、仏の絶対的な力です、写真の「廣度諸衆生―こうどしょしゅじょう」とは阿弥陀如来の誓願で「念仏を称える者は皆等しく救います」とのお言葉です。

 

 

 

 
 
〜 〜余慶の扉〜 〜


浄土宗の元祖法然上人は、「阿弥陀佛に救いを求めてお念仏を称えたならば必ず往生が叶うと信じつつも、小さな罪をも犯すまいと心がけるべきです」と信心を保つための心得をお示しです、そうした生活の積み重ねが徳を積むことになり、子や孫への余慶(よけい―吉事よいこと)となって現れるのです

このコーナーの題字「余慶」は古代中国周時代(前12世紀〜前3世紀頃)に成立した「易経」の中に「積善之家必有余慶、積不善之家必有余殃」(小学館日本語大辞典)−積善の家には余慶があり、積不善の家には余殃が及ぶ―から引用したものである。

自分さえ良ければいい、今さえ良ければいい、そんな風潮の世の中にあって人心の乱れはやがて全てを破壊し、子孫が住む世界を壊してしまいかねません、

先祖が作り上げ育ててきたこの世界を守り育て子や孫たちが安心して暮らせる世界を贈るために、其の為にこそ今私たちは此処にいるのです。当山の、ラジオ体操や朝の鐘には子供たちが来ます、また島の人たちはお墓参りに子供達をよく連れてきます、こうしたことが人としての「心の糧」を植え付け、こうした小さな善行の積み重ねがやがてこの子達に大きな「余慶」となって現れることでしょう。

 

 

 




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