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 若し三千大千國土に、中に満つる夜叉・羅刹、来たりて人を悩まさんとるに、その、観世音菩薩のを称うるを聞かば、この諸の悪鬼悪眼をもって之を視ることすら能わず、況んや、害を加えんや。

三千大千国土とは数量的を指すのではなく全ての世界と言う意味です。大きくいえば宇宙全体を言いますが、私達が住んでいる全ての世界と考えてください、夜叉や羅刹はともに鬼の仲間で、彼らも又その姿を変現自在に変えて私達に襲いかかってきます。 鬼そのものの姿で現れるなら皆で力を合わせ退治する事も出来ますが知らず知らずの内に心に巣くった鬼はその人を鬼にしてしまいます。

「渡る世間は鬼ばかり」というテレビドラマがありますが「ほんとはそうじゃない!」と言ってるんですが、自分の心が鬼に侵された人には周囲の人が鬼に見えてしまい人同士の争いを起こします、それこそ鬼どもの思う壺です。

でも観音様は人の心に鬼が入り込まない様に見守ってくれています。 人として生まれて来たとき心に備わっていた仏性は「南無観世音菩薩」と称えるならば、たちどころにその力を発揮し悪魔の恐ろしい目に睨まれることもなく、ましてや害を加えられることもないのです。
日々の生活の営みが自身の働きにより保たれるように、信仰心を持ち観音の名をお称えすれば即座に観音様が働いて、いつでも清浄な心を保てるのです。

 




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一口豆知識 〜〜節分会 せつぶんえ〜〜 

 

 冬から春への季節の分かれ目で節分と呼ばれています、一般的に厄払いの行事として豆まきやその豆を自分の歳の数だけ食べたりします。

「鰯の頭をヒイラギの枝に指し門口に立てる」などもその一つですが、これらは古来日本の朝廷が大晦日に行なっていた追儺の儀式の中で行なわれていたものが社寺や民間に広まり、今日 2 月 3 日や4日に行なわれる節分会の行事の風習としてのこっているものです。


京都吉田神社

廬山寺
写真: 節分会(せつぶんえ)-タウンナビ京都より

 


 
 
〜 〜余慶の扉〜 〜

経文にある「夜叉、羅刹」は悪鬼の総称で人に害を及ぼしたり、人を食べたりする鬼ですが仏教上で夜叉は悪人を食べますが善人は食べることは無くむしろ守ってくれる鬼神として毘沙門天に付き従う仏法護持の神です。

最近、節分の豆まきの時「我が家に鬼はいない、だから鬼は外などは言わず、福は内とだけ言って豆をまきます」と言ってる人をよくみます。 なるほどあんな恐ろしい形相をした鬼がその家にいるとは思いませんが「福は内、福は内」と叫んでいるその福とは何でしょうか、もし自分の幸せを願うのであれば、まず常に自性清浄を保ち、過分な幸福の追求などせず、全てのものを分かち合い、全ての人々の幸せを願ってください、周囲の人々が幸せになれば必ず自分も幸せになっています。

「鬼は外、福は内」と叫び豆をまくのは邪気を祓う「自浄其意」の叫びでもあります。

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