諦める(あきらめる)と言う言葉があります、一般的には思いを断念すると理解されがちですが、仏教的には「物事の道理を明らかにして真実を見極めること」を言います、これを諦観と言います。
死の縁無量といって時に思わぬ事故や災難、病気で命を落とす事があります、人は必ず何かを縁として死ぬ者だという事実を心に頂いた時、慌てることなく平常心で受け入れることもその諦観の一つです。
五十三歳で乳がんで逝った母が私の顔を見て「お坊さんになって帰って来たんだね、良かったね」の言葉を最後にお浄土に帰りました、家族の中で誰よりも早く逝く母に、仏は残された家族へ「母の愛の言葉」という奇跡を起こし、残された家族を救ってくれました。
仏の吐いた一息の風に任せて今人の世に有り、またそのお身の中に帰らせていただける。
澄んだ空気を沢山持ってと思っています(写真3はすの花)