漁師の宝は魚、その漁の最中に突然の黒風(西風)に巻き込まれた南紀勝浦の漁師達
明治二十五年(1892年)十二月二十八日和歌山県勝浦沖でサンマ漁の漁船遭難事故が起きました。 記録によると漁船六十余隻、漁師七百四十九人が操業中、突風に遭い、自力で戻った者や救助船に救われた者二百九十一名、八丈島に百七十九人ほか青ヶ島三十一人御蔵島に十九人がそれぞれ漂着、二百二十九人が行方不明、当時の海軍省が軍艦「天城号」を派遣捜索に当たる一大海難事件であった。
八丈島に漂着できたのは十二月三十一日夜、八丈島八重根の港(写真2)である。 年末年始の祭礼のため提灯や灯篭などが樹の枝に掛けてあつたその灯りが二百余名の命を救った。
島民上げての救助活動により、多くの漁師達はやがて勝浦へと帰郷できたが死亡した十二名の漁師は一度埋葬されたが軍艦の迎えを知った島民、天田平次郎(あまだへいじろう)の働きにより荼毘に付され共に帰郷したのである。
平成四年二月二十四日、前年この事故の遭難百回忌法要を済ませた勝浦漁協組合が会長はじめ遺族会代表、同町職員らが親善訪問、当開善院で慰霊法要を行い持参した不老長寿の霊薬樹「天台烏薬」の記念植樹が行なわれた。(写真3、4)
この百回忌慰霊法要に際し住職により一葉観音ご和讃が作られた
(余慶の扉別紙参照)