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若し大水のためにわされんに、その名号えば、即ち浅き処を得ん(写真1)

雨による河川の氾濫の為でしょうか、家屋も流されていますが観音様のお導き、どうやら人々は川岸にたどり着いたようです。

普段眺めている海や川、湖の細波は見ていても心が安らぐものですが台風の時など雨時化の時は河川の氾濫をまき起こし家を流し、火災と同じく命をも奪います、備えあれば憂いなしと言い物理的な備えも大切ですが信心の心を保ち、いざの時の心の備えもしておきたいものです。

愛欲にれるという言葉が有りますが、この愛欲の爲に生死の世界を何時果てること無く流転する様子から生まれた言葉です、煩悩の中でも断ちがたいものです、僅かな風にも波立つ水音を、我が心に起こる愛欲の波の音にえれば、これを鎮め、執着する心を収めて下さるのも信心です、人の道に恥ずべき行いが一番嫌いな観音様に悲しい思いをさせてはいけません、恥を重んじる心を観音様から頂いてください。

 




写真1

一口豆知識 〜八丈島の水田について〜 

 

「八丈島」というこんな小さな離島に、まさか水田があるとは考えにくいだろうが、実は奈良、平安の頃から、八丈島五ヶ村に水田が作られていた

  (  中略  )

現在は幾つかある河川の水はすべて上流で水道に取り入れられ、減反政策で水田耕作が中止

  (  中略  )

大雨でも降らない限り下流に水が流れず子供らも八丈島には河川がないと思っている程である

(葛西重雄著八丈島青ヶ島碑文墓誌集成より)

普段、水が流れている川はほとんど在りませんが、島では雨がよく降ります、その雨量も年間三千ミリ以上に達し日本でも有数の雨量を誇ります


 
〜 〜余慶の扉〜 〜

八丈町三根にある鴨川流域は、今は観葉植物用の畑になっていますが(写真2)以前は一面田圃でした(現在児童の学修用の水田 *<写真3><現在の水田>)

その流れは護岸工事が行なわれそれこそ水無川のようですが(写真4)、以前は長雨により氾濫し水田に被害を及ぼしたものですその様子知る手がかりが明治三年、八幡神社(写真5)に建てられた「賀茂川之碑」(写真6)(元冶三年、村長浅沼良久による治水の記録)に記されています。
  猛威を振るう自然の力ですが人々はその力を天地神仏からのとして日々の暮らしに取り入れてきました。 その心を養って下さったのはこの流域にある尾端の観音様(写真7)であり、八幡神社の祭神である八幡大菩薩です。
神仏に対し信仰心を持つ事は私たちの心に有る恐れ、戦慄、憂いの心を鎮めてくれ、正しい判断で日々の暮らしが安らぎと潤いをもって過ごす爲の智慧を授けてくれます。 先人達の遺産を引き継ぎさらに改良し進歩発展させていく勤めが我々に有ります。それが人として生まれてきた事の大きな意味合いでもあるのです。

以下に紹介する八幡神社境内に在る鴨川冶水工事完成記念碑「鴨川の碑」をご一読下さい

写真2


写真3


現在の水田

写真4
写真5 写真6 写真7


八丈三根村の賀茂川の用水(飲み水や洗濯、灌漑などに利用)は古くから長雨の時には川上から川下まで各所で決壊氾濫し田畑に砂や石が流れ込み荒地になってしまい数百俵の穀物が毎年収穫できない被害にあっていた。

元治三年(一八六六)村長の浅沼良久が八幡宮に詣で誓いを建て村民と相談し護岸工事を行い漸くにして長雨の被害から田畑を守る事が出来たのである。 その時から五年、人々は今ではあの時の氾濫の恐ろしさや、工事の苦労も忘れ収穫の喜びに在るがこの事は神明すなわち八幡大菩薩のお助けがあって成就出来た事ことで有る。

明治三年(一八七〇)此の事を後世に伝える為村民一同の意を持って此の碑を社殿の前に建てる

(資料) 八丈島青ヶ島碑墓誌集成  葛西重雄著 (株)みずうみ書房刊

     賀茂川 ->> 現在は鴨川に統一されている




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