第二十二回-無尽意菩薩からの法施

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(写真1)


無尽意菩薩してわく。 世尊よ、われまさに観世音菩薩供養すべし。 すなわち、のもろもろの宝珠瓔珞、百千両のするをきて、しかももってこれをえ、このす。 仁者よ、この法施珍宝瓔珞けよ。
ときに観世音菩薩は、あえてこれをけず。


現代語訳

「世尊よ、わたしは今こそ観世音菩薩を供養します」
無尽意菩薩は仏に申し上げた。 そして価値が十万両にも相当する、ふんだんな真珠でこしらえた頸飾りを頸からはずし、それを観世音菩薩に指し出し
「きみよ、この法施(ほっせ)としての、珍しい真珠の頸飾りを受けてください」
と言葉をついた。しかし観世音菩薩は受け取りませんでした。

観音の教えを聞いた無尽意菩薩は感謝の意を表します。 それが供養、そして法施という形に表れます。
供養とは仏、、僧の三宝または死者の霊などに、身口意※1の三つの方法で回向 ※2することを言います。

※1-『身口意(しんくい)』の三方法
(身=身体による行為、身体的行為、 口=口に声を発して諸仏、菩薩の功徳をほめたたえる事、 意= 心に思うはたらきの三つの方法で諸物をさし上げること)

※2- 『回向(えこう)』
(自分の修めた善行、功徳をさとりに向かってめぐらす行為ー仏教語大辞典ー東京書籍参照)

法施(ほっせ、又は、ほうせ)とは、仏の教えを説き与えることとされますが、此処で布施されるのは宝珠瓔珞です。
  一般的には財施にあたります。 値百千万両の宝珠瓔珞は人の世に有って得がたい財産、財宝です。 それを法施と言うのは、仏の世界の財産、財宝とは仏法です、無尽意も菩薩であれば身に付くものは仏の教えです、その尊さを具現化したものが宝珠瓔珞としているのです、教典では瓔珞(首飾)でも実際は価値を量ることなど出来ない仏法です、これが法施という由縁(ゆえん)です。

観音菩薩だからこそその「仏心は、やり取りの出来るものでは無いのだ」ということを我々衆生に示すべくあえて「これを受けず」なのです。


 

 



写真1

一口豆知識  〜 瓔珞   〜 


「瓔珞(ようらく)」(写真2−2、3)とは金、銀、玉宝石などで作られた連珠の飾りで、荘厳具(しょうごんぐ)として仏、菩薩に用いられるもの。

インドの貴人の装飾品に由来する、瓔とは頸につける飾り、珞とは身につける飾りをいう。

宝珠(ほうじゅ)とは宝玉の総称。 財宝を降らしたり、不幸、災難を除くなどの徳があるものとされ、仏像の持佛(じもつ)の一つ。
「宝珠瓔珞」とした場合は真珠の頸飾りをいう、なを宝珠形とは頭の尖った丸型である。
写真2−1は国宝奈良室生寺の観音菩薩様です。 瓔珞が完全な形で飾られています。 そこに「法輪(ほうりん)」が飾られていますが、法輪は仏様の教えが次々と他に伝わっていく様を車輪にたとえたものです。 したがって法輪が仏教の教えそのものという事であり、瓔珞が仏心そのものである事をお示しです。

写真2-2 写真2-3

 


写真2-1

 
 

〜 〜浄土衆歳時記〜 〜


旧暦八月のことを葉月(はづき)といい、『日本書紀』神武記にもすでに記されています。

木の葉が黄葉して落ちる月「落ち葉月」を略して「葉月」と呼ぶとされます。
この月の別称としては秋風月、観月、白露、仲秋などが用いられます。この月七日頃は立秋です。 二十四節気の一つで暦の上では初秋、これから秋に入ることになりますが、実際には最高気温を記録するのが丁度この立秋の頃となります。

八丈島は旧盆、七日の七夕様、(写真3−1)十日の尾端の観音様(写真3−2)、15日の施餓鬼法要(写真3−3)など行事が目白押しです。

写真3-1



写真3-2


写真3-3
 

 
 



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