第二十回-執金剛神を説く

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(写真1)

まさに執金剛神をもって得度すべきものには、すなわち執金剛神じて、ためにく。


【現代語訳】

執金剛神の姿を見ることによってすくわれるものには、ただちに執金剛神の姿を現わして、その人びとのために法を説くのである。

「執金剛神(しゅうこんごうじん)あるいは(しっこんごうじん)」はほかに金剛手、侍金剛、金剛力士ともいう、金剛杵を持って、仏法を守護する神、觀音三十三観音の第三十三身
仁王尊である金剛力士と同じであるが、一体で造像されるのが普通である。

金剛杵(写真1−2)とは、「先をを尖らせた古代インドの武器」で 仏と行者とが 加持感応する修法の場である聖域を現出し、そこに外的な防害者や煩惱などが侵入するのを阻止することである。

いわゆる結界である。
そのためには、武器の要素をもつ法具がもっとも有効な力を発揮する(図説仏教の世界4まんだらの宇宙より引用)

武器を法具として修法の道具として取り入れ、結界を結んで修行する。 そこには、外敵の侵入の阻止以上に自身の心に入り込む種々の誘惑がある それに打ち勝つのには仁王像(写真1−3A,B)そのもののお姿の執金剛神の守護あればこそとうなずける。

加持感応 (かじかんのう)
深い境地に達すると自分と自然が共鳴呼応するという意味で、 仏教の上では、「加持」--仏と人の間の常なる交流を表し、「感応」つまり感じて共鳴する事を意味します


写真1-3A

写真1-3B
   

 


執金剛神を説く
写真1


写真1-2
 
 
一口豆知識  〜 不二觀音   〜 

「不二觀音(ふにかんのん)」
三十三観音の一

蓮の葉の上に立ち、両手を前で重ねる姿に現わされる。
不二とは、差別、相対を超えた絶対平等をいうが、この觀音の誓願は観音と執金剛身を不二とするに止まらず、迷いと悟り、有と無など対立するものの見方を超えて、絶対平等の境地に衆生を向かわせようとしているとも考えられる。

 


写真2

 
 

〜 〜浄土衆歳時記〜 〜



旧暦七月のことを文月(ふみづき)といいます。

七月は七夕行事と関連して詩歌を七夕星に献じたり、書物を開いて夜気にさらす風習にもとづき文月といわれています。
 また一説には「穂含月(ほふみつき)」や稲の穂の「含月(ふくみつき)」ともいわれています。

また、七月の異称には親月、蘭月、七夜月などがあります。
夏至から十一日目の日をさして半夏生(はんげしょう)といいます。 半夏とはサトイモ科の「烏杓子(からすびしゃく)」(写真3−1)という毒草で、これが生えるのでこの名があります。 旧暦の半夏生の日には空から毒気が降りてくるといわれ、井戸に蓋をしたり、この日は野菜を取らないと言い伝えられていました。

七日は小暑(しょうしょ)、二十四節気の一つで暦の上では晩夏、新暦の七夕の行われる頃にあたります。ちょうど蓮の花(写真3−2)が咲き始める時期ともなります。

浄土宗大本山鎌倉光明寺(写真3−3)ではこの月六日「開山忌」が行われます。 御開山浄土宗第三祖良忠上(西暦1199〜1287)を偲ぶ開山忌法要です。  良忠上人は三ヵ年、聖光上人(浄土宗第二祖)に師事し浄土の法門を継承し多くの著述を著すとともに、關東を中心に専修念仏をひろめ、浄土宗教団の発展の基盤を作られたかたです。


写真3-1



写真3-2


写真3-3
 

 
 



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