第十八回-長者、居士、宰官、婆羅門の婦女身を説く

*文中の下線が引いてある単語にカーソルを合わせるとフリガナや注釈が見れます

(写真1)


まさに童男童女をもって得度すべきものには、すなわち童男童女じて、ために

現代語訳

童子、童女の姿を見ることによって救われるものには、ただちに童子、童女の身を現わして、その人びとのために法を説くのである。

童男身、童女身は「人界の二身(童身)」とされそれぞれ幼年小僮(どう)の相、少年女人の相をし蓮華を持つ姿です。

よく「無邪気な子供」といいますが無邪気とは邪心の無い事(邪心とは正しくない心)です。 寺院の行事の時などに稚児行列や稚児の踊り等を良く見ます。(写真1−2)

一つには御仏さまの御心を現わしています、ですからその稚児の姿を見るだけで私たちの心が和らぐものです。







童男、童女身を説く

写真1





写真1-2

一口豆知識  〜 馬郎婦觀音   〜 

 


「持蓮觀音(じれんかんのん)」
三十三觀音の一


蓮の上に立ち、両手で一本の蓮華を捧げ持つ姿にあらわされる。

三十三觀音などは蓮華を持物とすることが多いが、これは『觀無量壽経』に、觀音が阿弥陀如来とともに来迎するとき、蓮華台(写真2−2)をもって人を迎える、とあることに起因するという。

密教では、蓮華を衆生が本来有する『浄菩提心-- 一切衆生が成仏する正因』をあらわすものとし、觀音はその浄菩提心を、固い蕾から美しく花開くように開かせることを本誓とするから蓮華を持つのであると説く。

 


写真2




写真2-2

 
 

〜 〜浄土衆歳時記〜 〜


旧暦六月は「水無月--みなづき」と呼ばれています。
  これには諸説があり『国語大辞典』では「″な″は″ない″の意味が意識されて″無″の字があてられますが、本来は″の″の意で″水の月″″田に水を引く必要のある月″の意」とし、『広辞苑』は「″水の月″で 水を田に注ぎ入れる月の意」とし、『奥義抄』では田植えも終わり農作業もすべてしつくしたという意味から「皆仕尽」「皆尽月」とされています。

『滑稽雑談』には「一説にはこの月まことに暑くして、ことに水泉涸れ尽きたるゆえ、水無月というを誤れり」とあります。

このほかの別称には風待月、皆暑月、小暑、松風月などがあります。
また、この月六日頃を芒種といいます。  二十四節気の一つで暦の上からは仲夏、旧暦では五月節となります。
芒種とは芒*のある穀物である稲や麦の種をまく季節という意味からいわれています。

この月十日、恵心講といい、わが国の浄土経の祖ともいわれる恵心僧都源信(九四二〜一〇一七)の忌日が寛仁元年(一〇一七)六月十日であることから 比叡山延暦寺(写真4)でおこなわれています。

源信は『往生要集』をはじめ浄土経に関する著述を著し、恵心流の祖ともいわれています。

*芒(のぎ=禾、稲科の植物の花に付いている突起)



写真3



写真3-1


写真4

写真3-2

 
 



本講義で使用しております文章、画像などの転載や引用など一切を禁止します。



Copyright(c) 2005 Kaizenin.Com All Rights Reserved.