(写真1)
まさに長者、居士、宰官、婆羅門の婦女の身をもって得度すべきものには、すなわち婦女の身を現じて、ために法を説き。
現代語訳
長者、居士、役人、婆羅門の婦女の姿を見ることによって救われるものには、ただちにその婦女の身を現わして、その人びとのために法を説き。
婦女とは婦人である。前回(第十六回)でそれまでの神仏のほか国王、や長者、、役人など男性の姿を現わし人々を教化していた観音菩薩は、比丘尼(尼僧)優婆夷(女性の信者)すなわち女性にも、その姿を変えて人々を導かれた。
今度は婦人としてのお姿で現れました。
ここに仏教の基本的区別と順位が示されたのである。
その区別は前回で述べた四衆すなわち比丘(男性の修行者)比丘尼(女性の修行者)優婆塞(男性の信者)優婆夷(女性の信者)である。
男性と女性、出家者とそれを支える信者とに区別そして、それぞれの立場のなかで互いの役割と経験により順位がつけられた。 これらは差別では無く、仏法の世界においては一切が平等であり、修行で得た個々の力量を互いが認め合い尊敬される中で生まれたものである。
女性は人間社会に欠くことのできない位置を占めており前回の白衣觀音が后、母と称されたと同様、ここに言う婦女身に配される「馬郎婦觀音」は妻や娘の果たす女人の道を指す。
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