第十回-毘沙門身を説く 十九説法の第九説法

 

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(写真1)

まさに毘沙門をもって得度すべきものには、すなわち毘沙門(びしゃもん)のじて、ために

毘沙門の姿を見ることによって救われるものには、ただちに毘沙門の身を現わして、その人びとのために法を説くのである。

毘沙門天は、須弥山の第四層に住し、八大夜叉大将など無量の夜叉衆を率いて北方を守護する神。
常に如来の道場を護って法を聞くから、あるいは福徳の名が遠く十方に聞こえるから「多聞天」と名づけ、財福を授けるから「施財天」と称されるという。

この施財天からでしょうか、日本では七福神のひとりとして古くから信仰を集めていますが、ここでは仏道修行者を護っていただける神として説かれている。
仏法の浄域の東西南北を護る四天王とは「持国天、増長天、広目天そして多聞天(毘沙門天)」のことで、この四天王の内でも最も有力な神とされるのが多聞天、すなわち毘沙門天とされている。

古来、仏法の浄域を護るところから、武人に厚く信仰されている、武田信玄と戦った上杉謙信(1530〜1578)がこの毘沙門天(写真2−浄土宗慶事法要と祈願ー斎々坊刊より)を篤く信仰していたことは有名である。



 





写真1


毘沙門天

一口豆知識  〜 阿麼提観音   〜 

 

「阿麼提観音ーあまだいかんのん」
( 観音菩薩三十三観音の一つ)

漢訳では無畏観自在菩薩とも称される。 ここで紹介する絵図のほか、頭に宝冠を戴き三目四臂で白師子座に乗る姿や、青蓮に座して無量寿仏(阿彌陀佛の異称)を戴く姿も伝えられている。

この「無畏」とは「確信、おそれをもたぬこと、恐怖しない事、勇気、恐れずやろうという強い心--中村元著佛教語大辞典」と言う意味がある。

まさしく毘沙門天そのものである。




 

 

阿麼提観音
写真3

 
 

〜 〜浄土衆歳時記〜 〜

旧暦では「日本書紀」の頃から二月を如月(きさらぎ)と呼びわしています。

如月とは「滑稽雑談--こっけいぞうざん(江戸時代の歳時記)」に「奥儀抄に曰く きさらぎとは正月のどかなりしをこの月さえかえりて更に衣をきれば、きぬさらぎといふをあやまれるなり」と記されるように、着物をさらに重ねきる意味(衣更月)であるとされています。

このほか二月の別称としては仲春、仲陽、梅月、雪消月などがあります。
二月三日は節分です、各地の社寺では「節分会(せつぶんえ)(追儺式--ついなしき、ともいう)」の行事が行われます。
なかでも東京芝の増上寺で行われる節分追儺式では御法主台下をはじめ、年男年女や芸能人、関取衆が賑やかに豆をまき、幼稚園児による鬼退治、餅つきなども行われます。


八丈島で行われる節分追儺式の様子を紹介いたします。
「八丈島誌--八丈島役場発行より抜粋」(写真5ー八丈島誌P580)

追儺は、年男が島枡に大豆を入れ、明の方に向かい、まじめに祝詞(のりと)を言う

「ふん臭(くさ)、ふん臭、かまって(匂って)候、かまって候。

芋千俵の息(におい)とかまって候。

甘藷千秒俵の息とかまって候。

米千俵の息とかまって候。

八丈絹(たんご)千箱の息とかまって候。

かまって候」


といい終わり、豆を撒きながら大声で、「福は内、福は内、鬼は外、鬼は外」と叫ぶ。
ふん臭の呪法は、一家の主人が年男になり、七、八寸に切った竹の先端に肴を挟みこんだものを幾本もつくり、これを炉の火で?って嗅ぎながら、前記の呪文を唱える。
その年に叶えてもらいたい希望を次々と唱えていくのである。
(八丈島誌 年中行事P579〜580)

この日厄落としといって、男子は二十五歳、女子は十九歳に当たる者は三叉路に行って、男子は鍬や鎌などを、女子は布類や櫛鋏などを落とし、うしろを振り返らないで、途中で人に会っても何もしゃべらないで家に帰るという習わしがある(八丈島誌P583)



節分


八丈島節分風景(写真5)
八丈島節分風景
   

参考資料:
「観音経事典--観音経事典編纂委員会編--柏書房」より引用
「浄土宗歳時記--田原照純・藤井正雄監修--四季社」より引用

 




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