| 極楽や生きた阿弥陀様を拝むこと常であった弁栄上人は「お念仏が、だんだんと称え進みければ、生きておるうちも、体の命終わるときも、いつも絵のようにして、『阿弥陀様』は私どもの目の前に現にましまして、ありがたきお導きを下さいます。」と。
愛知県幡豆郡一色町にお住まいの川合たけさんは常日頃からよくお念仏を称えていらっしゃいました。
ご逝去される前のころは、全身に大層な痛みを持っておられ、家族が介護のために体に触れることがあると、大変痛がって誠に気の毒なお方でありました。
ある時、そうした中において、欄間(らんま* ) の方を見ながらというか、拝みながら「阿弥陀様が観音様や勢至菩薩さまや、その他大勢の菩薩様方とご一緒に居られる。ありがたいなあ」とおっしゃられて、お念仏をお称えになっているうちに、息をお引き取りになられました。
このような話は、愚僧がこのようなお話を初めてお説教させて頂いた会合では、大体後から、お一人ぐらいは「私の身内にもそんなことがありました」とお聞かせ下さいます。 亡くなるときでも、生きて居るときでも、お念仏を称えているときには常に阿弥陀様は私たちの前にましますのです。
* 天井と鴨居 (かもい) との間に、格子 (こうし) や透かし彫りの板などを取りつけた部分。採光・通風しなどのためのもので、装飾を兼ねる
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