往生を願いお念仏を称える人には、三つの心が供わっていなければならなりと、説かれてます。
第一の心は、誠の心(至誠心)です。
内は愚かなのに、外には賢いと思われようとする。
内には悪を作りながら、外には善人らしく見せる。
内には怠け心を持ちながら、外には励んでいるようなふりをする。

このように、内にそらごと、にせごとの心を持ってはならない、と教えられております。
第二の心は、深く信じる心(深心)です。何を信じるかというと次の二つです。

一、自分は悪を作り、罪深く、煩悩の炎の中でのたうち回っている。このままでは到底救われる
には程遠い悪逆無道人間だと、心の底から信じ込む。

二、このような最低の人間だから、無数の仏様のどなたも救っては下さらないが、
「阿弥陀様だけは、み名を称えれば必ず救って下さる」
と固く信じる。

この絵には、向かって左に南無阿弥陀仏のお名号をふし拝んでいる在家の人、傍らに経文を読んで
聞かせているお坊さん、その右には如意を持ってお名号を拝しているように見える高僧(十大弟子の
一人か)、更に上の方には手を差し伸べ教えを語りかけておられるお釈迦様のお姿が描かれております。
おそらく、至誠心・深心という大切なことを在家の人に解き明かそうとされているのではないかと、それが描かれているのではないかと私は考えます。

第三の心は、全てを振り向けて浄土往生を願う心です。(回向発願心)
二河白道のたとえによって、それを明かそうとして絵の大部分を占めています。
刀剣を持った悪人たち、大蛇や悪獣などが逃げていく人を追いかけています。

絵ではよく分かりませんが、このものたちの先には河があって、これ以上は追っていけないのがくやし くて、大声を出しています。
この河には幅四・五寸ほどの白い道が、こちらから向こう岸についています。
しかし普通の河ではありません。道の左は燃えさかる炎、右は怒涛逆巻く水です。
とてもたやすく歩いて行けるものではありません。
悪人や悪獣から逃げて、岸まで来ましたが、河が怖くて足が震えてとても進めません。
後ろには恐ろしいもの達が迫っています。
進退極まり、立ちすくんでいますと、

「阿弥陀様を信じて念仏を称えるならば、必ず無事に向こう岸へ渡ることが出来るぞ。火も水も
恐れることはない。必ず護って下さるのだ」

という声が、こちらの岸から聞こえてきました。
炎の左に、如意を持ったお坊様がおられます。実はお釈迦様なのです。
お釈迦様おお導きの声だったのです。
それに気づいて、進み始めました。

すると悪人達が、後ろから猫なで声で呼びかけます。
「何も悪いことはしないよ、安心して戻っておいでよ。そんな道を行ったら死んでしまうぞ。
俺達と楽しくやろうよ」
その呼びかけに惑わされ、行こうか、戻ろうかと心が揺らぎましたが、お釈迦様の声こそ真実だ、 と決心し必死に進みました。
すると、西の岸の方に仏様のお姿が現れ、
「さあおいで」
と優しく招いて下さっています。
うれしくなって思わず手を合わせました。
「阿弥陀様だ」と気がつきますと、火や水の恐れは吹き飛んで、お念仏を称えながら、一心に
足を進めました。
するとお釈迦様の教え通りに、無事に西の岸に行き着くことができました。
絵にはありませんが、阿弥陀様の後ろには大勢の菩薩様がおいでになって、共にお迎え下さった
のだ」と叫び、嬉しさのあまり感涙にむせびました。


絵画中の当該箇所


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